すでに春になっていた。ついこの間行ったと思っていた海も、もうすっかりあたたかい。
冬が寒いこの町にずっと住んでいるといやでも季節の変わり目に敏感になってしまう。冬から春になるときなんかは、特に。
 春はなんだかなにかがはじまりそうで気分がしゃっきりするような、それでもまだなんだかぼんやりしていたいような、あいまいな気分になる。
桜前線まっただなかで、辺りはそこらじゅうで薄ピンクの花びらが舞っている。
 お昼からはじてんしゃで図書館に行った。図書館に行くのは昔からの習慣。
図書館の窓際で、ちょうど窓のしたの高さで統一された本棚(天井からは“児童書”と書かれたプレートがぶらさがっている)のうえにほおづえをついて窓の外をみて午後を過ごす。
子供のころ、ほおづえは顔が歪むからやめなさい、とよくいわれたのだけれど、こんなに気持ちのいい日に、こんなにりっぱな桜の木の前でそんなことは気にしてられない。
それに、私はもう子供じゃない。
となりには宵がいて、やっぱりかれも同じ様にほおづえをついている。顔が歪むことなんて、むしろ、そのこと自体知らないというかんじで。
窓の外の、りっぱなこの桜は、いかにも自分がりっぱだというのがわかっているように、どうどうと立っていて、どうどうと、花弁を散らしていて、それがやわらかな春の陽射しにあたってとてつもなく幸福そうだ。
「きもちがいいねぇ」
まどろんでわたしがいうと、
「うん、とっても」
宵はとても真剣なこえで同意してくれる。
宵に出遭ってから、もうそろそろ2ヶ月くらい経つ。
彼はほんとうに、気持ちのいいヤツで、図書館に行く、という習慣に、火曜日の、お昼から、会う、という事項が追加されたような感じだった。
 春で、こんなに桜がきれいなんだからおはなみをしなくっちゃ損だと、いいだしたのは宵で、そんなことをしなくてももうみてるじゃない、とわたしは思ったのだけれどそれは口にしないでおいた。
 夕方になって、わたしたちは近くの焼き鳥屋さんで串と一品料理をおなかいっぱい食べた。
それはもう、「たらふく」食べた。
かれと一緒にご飯を食べると(それはもっぱら夜ご飯が多いのだけれど)なぜだかすこし食べ過ぎてしまう、ふたりとも。
それでもお土産に、つくねとうずらのたまごと、鶏のたれと塩と、ねぎまを2本ずつ包んでもらった。お酒も酒屋でそれぞれかった。
 宵は毎回、必ずいっこはビールを買う。ウォッカとかジンも好きみたいでのんでいるけれど、わたしには信じられない。なんであんな苦いものを美味しそうにすいすい飲めるんだろう。甘くてきもちよく酔えるところがお酒のいいところなのに。

 図書館の屋上には、非常階段をいちばんうえまでのぼって、そこからてすりに乗って、宵は、サルのようにひょいと、私は、ほとんど無理やりよじのぼった。
ここからだと、桜の花をみおろす感じになる。
屋上にはさくとかフェンスとかの類はなかったのでふたりで縁にこしかけておはなみをした。
こんなとこ、こどもがきたら危ないなぁ、と、宵がいうので
「あなたはこどもじゃないの」
と、聞いたら
「花梨也さんほどじゃないです」
などと涼しい顔でいった。納得いかない。
 夜の桜に向かって、タバコの煙を吐くと、もやがかかったみたいに幻想的になった。
宵は健康に悪いとかいっているけれど(タバコは血液の循環を悪くするんですよ。それにね、発ガン性物質って知ってます?花梨也さん)甘ったるいにおいといかにも体に悪い、というところが煙草のいいところなのだ。

 「ねぇ、花梨也さんってこれからどうするの?」
とつぜん、宵がきいた。下から風が吹いてきてはなびらがまいあがっている。
「・・・・なんで」
本当に、なんで宵はそんなこというんだろう。なんでこんな嫌な話題なんか。
「だって、花梨也さんって、バイト行って、図書館行って、それだけなんでしょう?」
「それだけだよ」
私はだんだん逃げ出したくなる。じわじわと、胸の端っこのほうから罪悪感がわいてくる。
― それだけじゃいけない?宵だってそうじゃない。 ―
「いや、べつに、いけないって訳じゃないんですけどね、なんていうのかなぁ。それって、立ち止まってるわけでしょう。俺もこのままぼけっとしてるのはいけないのかなって。」
まるで見透かしたようにいってくる宵にわたしはマジックミラーをおもいだす。だって、宵の考えなんかちっともみえてこないのだ。
 なんでだろう、なんでこの子はいきなりそんな、大人みたいなことをいうのだろう。なんでこのままぼけっとしてちゃいけないのだろう。
私は、ときどき、なんで世の中の人たちはそんなにきちんと生活できているのかわからなくなる。
「でも、まぁいいか、いまは。居心地いいからもう少しこのままでいましょうね。」
宵は、得意のにっこり笑顔でそういうと、すっくとたちあがって、ビールをぐびぐびっとのどぼとけを動かしながら飲んだ。
よるの黒にさくらのピンクが眩しかった。



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