不思議なもので、だいたい、いつ、どの図書館でも空気は同じだ、と思う。匂いも、温度も、そこで流れている時間も。
 それはもう、ドアのこっちと向こうとではぜんぜん違っていて、僕は図書館に入ったらまず鼻をふくらませて、大きく息を吸う。少しとめて、ゆっくりと、はく。そうしたらもう、僕の肺のなかの空気は図書館のそれになっている気がした。
 僕のとくとうせき(だと勝手に思っている)雑誌の棚のまえの長いすに花梨也さんは陣取って、こちらに背を向けていた。
 僕はそうっと音をたてないように(もっとも、図書館の床には絨毯が敷いてあるので音なんてめったにたたない)近づくと雑誌を読む彼女のつむじをぐっ、と押した。
 彼女は体をそってさかさまの顔を僕に向けた。肩まである茶色い髪の毛が背もたれに垂れる。
 花梨也さんは紺色のタートルネックセーターにジーパン、投げ出した足にはブーツという格好で、彼女のよこには赤いダッフルコートと白いマフラーが乗せてあった。
「やっぱり」
花梨也さんは姿勢をなおして、しょうがないな、とでもいうように、小さく溜息をつく。
つまんないの。ひどいなぁ、花梨也さん。もうちょっといいリアクションしてくださいよ。だから僕はできるだけ不満げに聞こえるように、でもつい声は明るくなってしまうのを隠せずに言う。

 今から海に行こうという花梨也さんの車は本当にきれいなあおで、僕は青い車で海に行こうという歌を思い出す。
まるっこいフォルムのこの車を花梨也さんはきちんと運転する。規則正しく、正確に。決まった速度で、はっきりとした確認で。
 坂にさしかかると、目の前にまだうっすら雪が残っているぼくらが住んでいる街と、その向こうのあおあおとした冷たそうな海がみえた。僕はこのけしきが好きだ。ちゃんとこの街にもたくさんの人が暮らしていて、もちろん、海でつながった別の場所でもちゃんと人が生活している、と確認できて落ちつくし、冬は空気がぴりっと引き締まっていてきもちが良い。
 花梨也さんは後ろから他の車がこないことを確認すると、すこしずつスピードを落とした。
ふと見ると、目を細くして、どこかほっとしたように微笑んでいる横顔があって、同じことをこの人も考えているんだとわかった。
この人といると心がどこかあたたかい。

 テトラポッドと堤防に囲まれた海はとてもきれいとはいえないけれど、それでもひざしはきらきらと降り注いで、とてもいい天気で、気持ち良くて、雪が解けたあとの乾いた堤防にのぼると思わずふたりで寝ころんでしまう。
 だからって、目を開けたときに辺りがすっかり暗くなっていたことをおどろかないわけにはいかなかった。
昼間だってまだ寒いのに、なんだってこんなに寝ることができたんだろう。よく凍死しなかったな。
隣で、寒さで体を縮こまらせて、花梨也さんはまだ寝ていた。
「寝ルナー寝タラ死ヌゾー」
口のまわりにてをあてて、彼女の耳元で叫んだ。つくづく俺って子どもだなと思いながら。
その結果、急に顔をあげた彼女に頭突きを食らい、二人で頭を抱える格好になる。
「いって・・・」
僕がいうと、彼女は笑った。しょうがないな、とでもいうふうに。
 近くにあったコンビニエンスストアで、おでんと(もちきんちゃくと大根は二個ずつ入れた)肉まんと、から揚げと、焼きとりを買い、もちろん酒屋にも寄る。酒は二人で八つ買い、僕はジンとウォッカとビール二つ、花梨也さんは甘い酒ばかりだった。花梨也さんはチョコレイトと僕が見なれない煙草も買った。
「煙草は反対だな」
僕が明らかに顔をしかめたのを彼女はこころなしか嬉しそうに見る。
 堤防の上でそれらを食う。はじめに飲んだおでんのつゆは、くちびる、舌、のど、食道、胃をじゅんばんにあたためてゆく。
ネコのしっぽみたいにぴんとしたみかづきが、すっきりと澄んだ空に浮かんでいた。
「ねぇ」
美味しそうにチョコレイトみたいな味がするというリキュールをすいすいと飲みながら花梨也さんは上機嫌だ。
「今日は死ぬ人少ないよねぇ」
「あぁ、欠けていくからですか」
「は?うみが静かだからだよ?」
酔っているせいか、話が噛み合っていない。っていつものことか。 僕は月の満ち欠けの話をしているつもりだったのに、彼女は(言い方はともかく)海の満ち引きの話をしてるようだ。
確か月と海も関係してたはずだけど。
考えながらウォッカを一口ずつわけてごくり、ごくりと飲んでいると
「あ、生理もそうだね」
とかいうので僕は(内容とその事実に)びっくりしてしまってげほげほと咳き込むと、マンガみたい、といってけらけら笑った。
ほんとに良く笑う人だと思った。大人のフリした子どもだな、とも。
彼女が吐き出す甘ったるい香りの煙が、すっかりまんぞくした僕たちを包んでいた。



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