その店の紅茶のシフォンケーキはやわらかい茶色をしていて、すこしゆるい生クリームがかかっていて、とても美味しい。今のお客さんの注文だ。
 その店、というのは私が働いて、2年になる喫茶店で、壁の掛け時計も、白いワイシャツにごくシンプルな黒いエプロンという格好も、コーヒーや紅茶の匂いとか味も、物静かで雰囲気のある店長の木下さんも、木造の小学校を連想させる窓枠も、『Going under tree』というかなり安易な名前も、とてもしっくりきていて、私にとってとても居心地のいい場所だった。
 古くて大きな―秒針のカチカチと鳴る音がこきみいい―時計が、5時を指すと、私は店の人にあいさつをして、ホールを出た。
月曜日と水曜日から金曜日の9時から5時までが私の勤務時間だ。
キッチンの隣の部屋で返り支度を済まし、裏口のドアを開ける。すきまから外の冷気が流れこむ。
午後から雪が降っていたけれど、かまわず行くことにした。
 今日はこのまま帰るつもりだった。クリーム色の壁のアパート。すこし錆びた階段をのぼった先の、銀の郵便受けとドアノブ、覗き窓のついたドア。私の家。
 曲がり角をまがる。朝はきちんと雪かきがしてあった道も、今までの雪で、またやわらかくなっていた。雪はもう、やんでいた。
 音がしたのはうしろからだった。荷物とか、木から雪が落ちたような音で、振り返ってみるとそれはあながち違っていなかったと思う。
 人だった。雪にうつ伏せの状態で埋まっている。彼が起き上がった。白いダウンジャケットに、学ランを着ているところを見ると、近くの高校生だ。私も通っていた学校。栗色の髪の毛は耳の下で切りそろえられていて、前髪の下の顔は痛そうに、というより冷たそうにゆがんでいる。彼と私の間には、筒が落ちていた。
 私はすこし考えて、それをひろって彼にさしだした。
にっこりと、でもまだかじかんでいる顔で笑った彼は、たちあがり、体についた雪をぱんぱんとたたいた。
「ありがとうございます」
そう言って筒を受け取る。笑った口から覗く、やえばが似合っていた。想像以上に背が高い。
「どういたしまして。ふってきたの?」
私の質問に、彼の顔に苦笑とも、いたずらっぽいとも取れる表情が浮かんだ。
「落ちたんです。塀をのぼったら滑っちゃって」
新雪の下に今朝の雪が凍っていたのだろう。考えてみればわかりそうなものだけど。
「ここ、あなたの家なの?」
「いいえ、今日卒業式だったんです」
「・・・・・・」
答えたくないのか、それとも天然なのか、とにかく話がかみ合ってないことは確かだ。
「大丈夫?」
いろんな意味で、と心の中で毒づいてみる。
「はい、おかげさまで」
なにもしてないけど。私が言うと
「これ、拾ってくれて、大丈夫って聞いてくれたから」
やっぱりにっこりと笑っていう。
「・・・・・・」
あきれるというか、なんだか気が抜けてしまった私に、彼はさらに追いうちをかけた。
「あ、俺、ショウっていいます」
聞いてもないのに、彼は自分の名前らしきものを告げ、しゃがんで新雪に「宵」と書いた。
しょうがないので私も隣にしゃがんで「花梨也」と書く。
「か・り・や?」
そういって首を傾げる彼がとても幼かった。私は少し笑ってしまった。彼は、笑ったといって自分でも笑った。
そのとき、なにか懐かしくて、温かい感じがした。
 その後、なんとなくふたりで私がきた道を引き返して、「Going Under Tree」へ行った。
彼はこの寒い中、雪に埋もれたというのに、なぜかアイスティーを頼んだ。氷をカラカラいわせながら。温かい部屋の中で水滴のついたグラスを持つ彼の指はすっきりと長くて、私はその指を持った手が(彼が?)気に入った。
 私はホットコーヒーを啜りながら、この場所と、彼のいる居心地の良さに浸っていた。

 雪と、アイスティーに日が反射してキレイだった。



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